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相続連続小説「あいつづく」 【第3話】

2016/3/15 

相続連続小説「あいつづく」

夏子ヘミング

【第3話】
角田法務事務所から帰ると、光男は妻栄子のいる寝室へ赴いた。妻の栄子は母さよの葬式以来、目に見えて体調が悪い。光男が出かけていた間もずっと布団の上にいたようだ。

「今日は司法書士の角田先生にあってきたよ」

光男の声に栄子はとろん、とした目を光男に向けただけで反応はなかった。この家の相続のことは、今の栄子には重すぎる問題だと思った。栄子が無関心で居てくれたほうが光男も気が楽だった。たとえ遺産分割の結果次第で、光男一家がこの家を出て行くことになっても。

窓の外を見ると雨が降り始めている。急いで洗濯物を取り込んでいると玄関のチャイムがなった。光男が洗濯物を抱えたまま玄関の扉を開けると、妹の美津子が立っていた。美津子は光男が山のような洗濯物を抱えている姿を見て驚いた声で言った。

「お兄さんがそんなことまでやっているのね、孝子さんの具合はどう?」

「何しにきたッ」

今一番会いたくない相手だった。光男自身もびっくりするくらい大きな声が出た。

「怖いわねぇ、そんなに怒らなくてもいいじゃない。ちっとも呼んでくれないから、自分からお母さんの形見分けをしにきたのよ」

「形見分けって何を」

「着物よ。古くなっていると思うけど、お母さんいいもの持っていたから」

先ほど角田先生から着物や宝石など高価なものは相続の対象になるので、協議前に他の相続人に無断で形見分けしないように、と注意されたばかりだ。

「着物はだめだ。近いうちに遺産分割協議を行うから、その時に言ってくれよ。それに着物が欲しければ旦那にいくらでも買ってもらえるだろう、母さんの古い着物なんかあてにしなくても」

美津子は名古屋の実業家である西岡家に嫁いでいた。サラリーマンの光男が想像できないくらい余裕のある暮らしをしているようで、祖師谷のこの家に来るとき、美津子はいつも見たことのない新しい着物を着ていた。今日の美津子にいつもの濃い化粧はなく、着物ではなく美津子にしては地味なグレーのサマーニットという出で立ちだった。見ないうちに老けたな、光男は自分と同じように年老いた妹を見た。

「別れるのよ、私」

「別れるって、どういうことだ」

「まぁ、色々あるけど、旦那がとうとう女の家に暮らすようになって。それなのに、お義母さんは寝たきりになってねぇ。朝から晩まで世話して帰ってこない旦那を待つのがあんまりだと思って」

美津子はまるで他人事のように話すが、光男は驚いた。

「でも、いいのか、寝たきりのお義母さんを置いて出て行くなんて」

「元気な時は私を虐め抜いた人よ。何の義理がある?困ったらお手伝いでもヘルパーでも雇うわよ、お金はあるんだし」

それでも。光男が言いかけたその先を美津子は自分で言った。

「女が娘抱えて生きていくっていうことが甘くないってことぐらい、覚悟しているわよ。西岡には慰謝料も養育費もきっちり請求するつもり」

美津子には今年高校生になったばかりの一人娘、実花がいる。美津子は光男を正面に捉え、憮然と言い放った。

「兄さんには悪いけど、そういう事情だから、相続に関する自分の権利は妥協せず主張させてもらうつもりだから」

美津子からの宣戦布告だった。

≪第4話に続く≫


【登場人物】
繁田さよ(故人)・・・達郎達の実母。和裁士として70まで現役だったが、認知症を発病してから亡くなるまでグループホームで暮らす。
繁田達郎(繁田家の長男)・・・繁田家の長男だが、東京で外資系証券会社に勤務し、華やかな生活を送っている。多忙のあまり最近は盆や正月にも顔を出していなかった。
繁田恭子(達郎の妻)・・・元客室乗務員。美人だがプライドが高く、義母さよに料理の味付けを注意されてから繁田家にはまったく顔を出さなくなった。
西岡美津子(繁田家の長女)・・・裕福な家へ嫁いだが、義理の家との折り合いが悪く、度重なる夫の浮気に耐えかねて離婚。母思いの一面も見せるが、大変な時は何かと都合をつけていなくなる、調子のいい長女。
繁田光男(繁田家の次男)・・・大手メーカーに勤める。兄の昭三とは正反対の、堅実で性格。
繁田孝子(光男の妻)・・・もともとは明るい性格だったが、厳格な義父と暮らすうち、うつ病を発病。現在は普通の生活を送っているがやせ細り五十代とは思えぬ容姿になってしまった。