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櫻井 英明(さくらい えいめい)
ストックウェザー「兜町カタリスト」編集長。1980年明治大学卒。日興証券にてエクイティトレーダー。その後、インターネット証券の営業企画兼情報担当、株式新聞Weekly編集長を経て現職。株式市場LIVE中継「東京マーケットワイド」(東京MXテレビ)火曜前場、水曜後場でキャスター。ラジオNIKKEI、BS11「大人の自由時間」などに出演。「夕刊フジ」の火曜・金曜にコラムを連載中。近著に「日本の経済これからどうなるの?」(日本実業出版社)、「誰でもわかる! 世界同時恐慌のすべて」(中経出版)など。 |
本当に楽しいのでしょうか?
平日昼間の中央線沿線などでは、リュックを背負った男性によく遭遇します。
聞けば名所旧跡や、史跡を訪ねるのが日課とのこと。
確かにリタイア後で時間はタップリあるでしょうから、これが一応楽しみであるということは理解できます。
同様に、平日の昼間の私鉄の特急などで見かけるのは、ハイキングなどへ向かう一群の人たち。
こちらも聞けば、多くは小学校や中学校の同級生という組み合わせでの仲間付き合いだそうです。
傍から見て思うのは「本当に楽しいのでしょうか?」という疑問です。
「いやこれが楽しくて仕方がない」というのなら納得できます。
でも、コンポンのところで、「でもしか」的行動でないと否定できるのかどうか。
ここのところは疑問です。
「諦念生活」になっていないでしょうか。
ある意味、定年は諦念でしょう。
団塊の方々があの全共闘運動の最中に良く書き残していたのは「造反有理」。
でも今は「諦念無理」と感じられてなりません。
多くの方々が定年後には地域奉仕やボランティア、あるいは趣味の世界に向かわれます。
それは「諦念」ではないのでしょうか。
加えて、高度成長を支えてきた昭和初期世代のあの姿、そしてこの国を引っ張ってきた団塊世代のあのエネルギーはどこへ行ってしまったのでしょうか。
先輩方の活動を拝見していると、ものすごく疑問を感じます。
そもそもサラリーマンだからこそある定年。
嫌な言い方をすれば、定年をむかえるということは、ある意味、プロではなかったとも言えるでしょう。
証券会社のOBの話を聞いていると、ふとそんな印象に苛まれます。
40年近く証券会社に勤め、支店長あるいは営業や株式担当の役員を務めたOB氏たちから受ける質問の多くは「株式の今後はどうだ?どの銘柄を買えばいい?」。
40年も時間をかけたならば、その道のプロであるはず。
ところがそうなりきれなかったからこそのこんな質問。
組織に所属し、単にスーツを着て時間を過ごしただけならば、今後は同じような無駄はやめるべきではないでしょうか。
むしろ、定年後はそれこそ諦念の世界ではなく、プロの世界への入り口と考えることはできないでしょうか。
無限の未来と云うわけではなく時間はたくさんはありません。
でも、時間コントロールが出来る以上、挑戦できることは多い筈。
今までの牛後の世界から、鶏口の世界への転換。
人と同じことをやって楽しんだフリをするよりは、よほど良いのではないでしょうか。
プロに定年はありません
スケジュール表を無理やり埋める必要はありません。
人と会ったり出かけたりしていないと不安感に襲われるから、無理していろいろなことに手を染めてはいませんか。
所詮「諦念無理」。
そう考えればターゲットはさまざまなものがあるでしょう。
趣味の世界、資格の世界、あるいはボランティアの世界。
写真を撮るなら、売れる写真を。
資格を取るなら稼げる資格を。
ボランティアなら必要不可欠な存在を目指して。
お金をかける必要はありません。
時間はたくさんあります。
ターゲットは「プロフェッショナル」。
なかなか「主人公」になれることがないのも現実。
でもそれで満足していてはいけないのではないでしょうか。
例えばゴルフでもシニアやグランドシニアで優勝することは、かなり大変。
それなりに必死にやらなければ到達はできないでしょうし、もちろん「運」も必要でしょう。
でも待っていては当然「運」はやってきません。
「程ほどに」「まあまあ適当に」。
それで満足でしょうか?
ここからしばらくは「何を生意気な」「片腹痛い」といわれるかも知れませんが、「諦念無理」をテーマにエールをお送りしたいと思います。
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