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1953年の プロ野球ニュース 実はFA補強のさきがけ? 広島カープ樽募金で集まった資金で小鶴誠・金山次郎を獲得!

2019/4/26  プロ野球ニュース: さん

  

 2018年に球団史上初の3連覇、セントラルリーグでも読売ジャイアンツのついで2球団目のリーグ3連覇を達成した広島東洋カープ。
 その広島は、1950年の2リーグ分裂で誕生した球団であるが、その創世期は親会社をもたないこともあって苦しかった。

・球団1年目は優勝・松竹から59ゲーム差の最下位。ダントツの最下位であった。S結成3年目までの戦績は以下である。

・1950年(1年目) 41勝96敗 勝率.299 8位(最下位)
・1951年(2年目) 32勝64敗 勝率.333 7位(最下位)
・1952年(3年目) 37勝80敗 勝率316 6位

 3年間、いずれも勝率が3割以下か、3割台前半に終わっている。理由は簡単で、親会社がない市民球団ゆえに有名選手が補強できない。スター選手といえば、巨人から移籍したショートの白石敏男(勝巳)くらい。白石が1年目に3割4厘、20本塁打を放っても、チームの勝率は白石の打率にも満たなかった。

広島カープ潰しの画策も・・・

 1952年のセントラルリーグは7球団制では日程の調整が悪いため、「勝率3割以下のチームは解散もありうる」ということが決まった。弱小球団・広島潰しは明らかだった。8月12日の夕張での巨人戦で、ショート白石の伝説の逆シングルキャッチが生まれ、白星を積み重ねたカープは最下位を脱出。1950年に優勝した松竹ロビンスが最下位となり、大洋との合併が決定。ここに広島球団は存続が決まった。

 が、存続が決まったとはいえ、カープは選手補強が急務の課題。しかし親会社がないゆえに資金がない。そこで始まったのが広島市民による樽募金であった。広島の石本秀一監督の狙いは大洋と合併が決まった松竹の1番バッター・金山次郎と4番の小鶴誠を広島に移籍させることを目論んだ。


(市民の募金で選手獲得が行われたカープは今でも広島市民に愛されている)

4番小鶴誠の移籍は広島に猛練習の伝統を与えた。
 松竹ロビンスの4番・小鶴誠の持ち味は豪快なホームラン。ゴルフクラブのようにバットを下から上へと振り上げたスイングは見る人を魅了した。1950年には51本塁打、161打点という驚異的な成績で松竹の優勝に貢献。
 石本監督の熱意に押され、「力になれば」という想いから移籍を決断。才能ではなく、節制と努力で打を極める姿は山本浩二や、金本知憲に代表されるように、現在のカープの猛練習の礎となったといえるだろう。

金山次郎の移籍でチームワークの広島野球が始まった・・・
「韋駄天」という名をほしいままにした金山次郎も小鶴誠ともに移籍。広島に「走る野球」を教えるとともに、守備では併殺網を確立し、チームワークと広島の堅守の礎を築いた。
1950年には「74盗塁」で松竹の優勝に貢献。その一方で「人の和」を大切にし、時には怒鳴り、時には励ます・・・。古葉竹識、大下剛史、衣笠祥雄、三村敏之、正田耕三、野村謙二郎、新井貴浩、菊池涼介など、広島にその時代にリーダーといえる内野手が常に存在するがその礎を金山が作ったといえるだろう。「近代野球とチームワーク」はその後、広島の伝統となる。1975年の広島初優勝時の解説が金山次郎であったがその解説は今でも語り草になっている。

樽募金であつめた選手により躍進
 小鶴誠・金山次郎の獲得は広島に大きな戦力アップをもたらした。1953年には53勝をあげて、4位に浮上。勝率も初めて4割台に乗った。その後も56勝、58勝と少しづつ確実にチーム力が向上しいったのである。
 現在のプロ野球で行われているFA補強とも少し異なる樽募金による選手獲得。これを「金満補強」と呼ぶ人もまたいないだろう。


(写真は現在の本拠地・マツダスタジアム)

・1953年セントラルリーグ順位表
1位 巨人  87勝37敗1分け 勝率.702
2位 阪神  74勝56敗    勝率.569
3位 名古屋 70勝57敗3分け 勝率.551
4位 広島  53勝75敗2分け 勝率.414
5位 洋松  52勝77敗1分け 勝率.403
6位 国鉄  45勝79敗1分け 勝率.363

(文責:定年生活事務局)
参考文献:「カープ50年 夢を追って」(1999 中国新聞社)

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