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3.11に寄せる

2012/3/11  宏 さん

大震災東日本大震災で2人の友人が犠牲になった。ともに学生時代からの知り合いで、ひとりは津波で亡くなり、もうひとりは行方不明のままである。どちらも子供がすでに独立しているのが唯一の救いだった。春の選抜高校野球のテーマソング「栄冠は君に輝け」を耳にしたとき、曲が被災地と重なって、突き上げてくる感情を堪えるために奥歯を固く噛みしめていたのを覚えている。

震災後、被災地に何度か足を運んだ。最初に訪れたのは震災か1か月が過ぎていた。行方の分からない友人の家族は避難所にいて、夫人がわたしの顔を確認すると、顔をくしゃくしゃにして駆け寄ってきた。それから、堰を切ったように話し掛けてきたのだが、手を差し伸べるような言葉がみつからなくて頭を垂れて頷いていた。悲しくて、苦しくて――。夫人の切ない思いだけが伝わってきた。津波の犠牲になった友人の母親は80代半ば。彼は自慢の息子だった。「代われるなら、代わってあげたい」。涙を浮かべながら何度もそう繰り返した。

あれから1年。遺族の心に静けさが宿ってきたようにもみえる。しかし、言葉の端はしにいまも途方にくれ、手さぐりでもがいている姿がみえる。痛手を負った心の傷はなかなか回復しない。自分にできることはなんだろう。そのことをずっと考えているように思う。

半年ほど前から被災地で生産された作物を口に運ぶようになった。風評に踊らされて一喜一憂する年齢でもない。コメは福島米、野菜にしてもトマト、ほうれんそうなどは福島産にしている。近くのスーパーには福島産と茨城産の野菜が多い。意識的にそうしているのだろう。海産物は宮城、岩手の三陸産。日本酒は福島と宮城の蔵元から取り寄せている。「なぜ、被災地のものを?」と問われたら、迷うことなく言う。「おいしいから」と。

距離を置いているのがひとつある。被災地を照準にして刊行された数多くの書籍である。小説、ルポ、地震、津波、原発、食、ボランティア、救援活動、環境、福祉、景観、行政、自治体、企業、医療、補償、復興など想定される分野はすべて出揃った感じがするけれど、読んでみて胸の中ですとんと落ちたものはほんの数冊しかない。なぜだろう。対岸からみて書いたものに対する違和感からだろうか。その答えはいまもって自分で出せないでいる。盛んに使われた「命」「生きる」「絆」「希望」「諦めない」という言葉にしても、どこか上滑りしているようで、なかなか馴染むことができないでいる。

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