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定年生活が選ぶ 1938年のプロ野球ニュース 打撃の神様・赤バットの川上哲治が巨人に入団し、巨人の4番・中島治康が初の三冠王に!

2018/9/25 

 1938年春のリーグ戦はタイガースの独走であった。タイガースの最大のライバル・巨人も24勝11敗で勝率.686であるから決して悪い数字ではない。いや、むしろいいほうである。
 しかしタイガースがその上を行った。29勝6敗で勝率は.829である。今の時代、開幕ダッシュでもこんな数字は出ない。無敵である。
 理由は藤村冨美男の大活躍である。このころ、タイガースの投手陣は西村幸生と御園生崇男が中心となり、景浦将は打撃に専念をしていた。その景浦が春季リーグでは5本塁打と活躍。ハリスに最終戦で抜かれ、本塁打王は逃したが主軸として活躍した。

 投手陣では西村が11勝4敗、御園生が10勝1敗と強さを発揮したが、この年は藤村冨美男が二刀流で活躍した。
 藤村冨美男は物干しバットといわれるような長いバットで快音を連発。打率3割、投手としても6試合に登板し、4勝を挙げ、タイガースの優勝に貢献した。


(写真はタイガースの本拠地:甲子園球場)
 
 そんな1938年の秋の前に巨人に一人の大物選手が入団した。当時はまだ投手の川上哲治である。1938年9月に巨人からの使者として鈴木惚太郎がやってきて、熊本工の投手・川上と捕手・吉原の2人を契約金300円、月給110円で巨人入団を決めた。当時の巨人の狙いは捕手吉原の方で川上は付け足しのような存在であったという。
 この300円。これで熊本は家が一軒建つ金額である。
 実はその後、南海からも誘いがあり、支度金500円、月給150円という破格の条件を示され、川上は「しまった」と思ったそうだが、後の祭り。
 しかし、こうして後の打撃の神様であり、V9巨人の監督・川上は巨人に入団した。

このシーズンは一つの大記録が誕生した。初の三冠王である。
 記録の持ち主は巨人の4番・中島治康。打率3割6分1厘、10本塁打、打点38.シーズンが40試合制に加えて、ボールが飛ばない時代である。
「ボールの質が悪くて上から落としても膝ぐらいにまでしか跳ね返ってこなかったので、打ちにくく、ホームランは出にくかった」とのこと。
 
 しかしこの年の中島の打撃は驚異的で、5試合連続本塁打(1リーグ時代の唯一の記録)、7試合連続打点、セネタースの金子投手のワンバウンドの球をライトスタンドにホームランにするなど、球史に残る大活躍をしている。
 これは本人曰く「打席に立つととにかく打ちたく、来た球を全部振ってしまう」のだそう。
 そんな中島の大活躍で巨人は30勝9敗でタイガースに3.5ゲーム差をつけて優勝した。

 川上哲治が巨人の4番になる前の選手の少ない時代の巨人にあって「班長さん」というあだ名で巨人の監督も2度、務めた(昭和18年と昭和22年、昭和23年)。

 昭和25年に2リーグ制になると、下関を本拠地にする大洋ホエールズに移籍。昭和26年には選手兼任監督を務めたが、最下位となり、途中退任。
 その後は、野球記者としてアマチュア野球の記事を中心に健筆をふるった。

 昭和50年代、長嶋茂雄監督の解任で揺れた巨人においてOB会を纏めるために1982年から3年間、巨人のOB会長を務めた。
 中島の背番号は「3」。長嶋茂雄の背番号の印象も強いが戦前は中島の背番号だったのだ。ここにも巨人軍の伝統と歴史の重みが伝わる。