1948年 プロ野球ニュース 巨人による選手引き抜きのスタート? 南海・別所引き抜き事件が勃発!
2019/2/102018年オフ、巨人の原監督が3度目の監督に復帰。広島の主砲・丸佳浩選手や西武の炭谷銀二朗捕手をFAで獲得。資金的に限りのある球団から有力選手を獲得する読売ジャイアンツの補強手段に賛否が分かれたが、この1948年オフの別所引抜事件がその第1号ともいえるだろう。
まずはペナントレースの総括から。この年は140試合の総当たり制で行われた。この年も南海ホークスが首位を快走。87勝を挙げ、83勝の2位・巨人に5ゲーム差をつけて優勝した。原動力はこの年もエース・別所。
前年、30勝19敗で第1回目の沢村賞を獲得した別所。この年も26勝10敗で、最優秀勝率投手に輝いた。が、別所は南海の待遇面に不満を持っていた。そこに目を付けたのが読売巨人軍。是が非でも戦後初の優勝を飾りたい巨人は優勝奪還の使者として最大のライバルチーム・南海のエースに目を付けたのである。
この動きに南海側も慌てて事実を確認すると、別所の要求は家1軒と月給のアップを要求。しかし南海は他の選手との給料の兼ね合いで功績のある選手でも特別扱いはしない方針。この辺りは現在の広島東洋カープに似ているともいえよう。
当時は今のような球団と選手との間の統一契約書のようなものはまだ存在していなかった。そしてこの統一契約書は1949年から採用されることが決まった。そうすると契約のない時代とは異なり、巨人も制度の間隙を狙って別所を引き抜くことは出来なくなる。
1948年11月11日、巨人は「空白期間」を狙って別所の獲得に動き出す。まずは家1件を獲得する資金として読売側が別所に10万円を渡した事実が明らかに。年が明けた1949年1月17日、激怒した南海側が連盟を提訴。2月9日には、今度は別所が南海側を提訴し、泥仕合の様相になった。
連盟が調査した結果、以下の裁定が下された。
「南海は3月17日から10日間、別所投手と交渉期間とし、契約を更改すること。これが決裂した場合、別所の拘束権は消滅する。別所が巨人と契約した場合、2か月間の出場停止とする。読売から受領した10万円は連盟を通して返却せよ。巨人には罰金10万円を課す。」内容は南海側に不利な内容であった。別所は南海側からの残量要請を断り続け、巨人へ移籍。結果、別所移籍事件は、読売による他球団主力引き抜きの第1号となった。
翌、1949年の巨人対南海戦は殺伐とした雰囲気となり、「三原監督ポカリ事件」へと繋がっていく。一方、別所を引き抜かれた南海側の怒りは収まらなかった。ルールを守らない読売とは一緒に野球ができないと当時、読売新聞の最大のライバルである毎日新聞社を抱き込み、新リーグであるパシフィックリーグを作ることになるのはこの2年後である。
【1948年のプロ野球順位表】
1位 南海 140試合 87勝49敗4引分
2位 巨人 140試合 83勝55敗2引分
3位 阪神 140試合 70勝66敗4引分
4位 阪急 140試合 66勝68敗6引分
5位 急映 140試合 59勝70敗11引分
6位 太陽 140試合 61勝74敗5引分
7位 金星 140試合 60勝73敗7引分
8位 中日 140試合 52勝83敗5引分(文責:定年生活事務局)
参考文献:「南海ホークス 栄光の歴史」(2012 ベースボールマガジン社)
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