「私の今年の初夢は英語を第2言語とした国々の実現」であった!
2019/2/20今年は何か大きな変化があるのではないかと考えていたら、次の三つの夢を立て続けに見てしまった。
まず元旦は「英語」が第二言語として日本ばかりか地球上何処へ行っても通じるようになっていた。子供たちだけでなくお年寄りも話すし、聞くこと、書くこと、読むことも十分出来るようであった。勿論それまで使っていた自国語も使われていたが。
*かつて「エスペラント語」という世界共通の言語が作られその普及に努力したが、「結果としては受け入れられず消滅してしまった」と思っていた。これは実は間違いで、1887年(明治20年)にポーランド出身のルドヴィコ・ザメンホフ髭のおじさんによってデザインされた人工言語で、究極の暇つぶしと言われながらも現在でも多くの国の一部愛好家によってどっこい生き延びていた。
日本では「日本青年エスペラント連絡会」という組織があり活躍している。ちなみにエスペラントは「希望する者」という意味がある。
二日は教育に対する考え方の転換である。これまでの日本は「モノづくり」の国として世界に冠たる地位をきづいてきたが、夢の中では「ヒトづくり」の国としてユダヤに劣らぬ発展を遂げていた。ノーベル賞受賞者も人口比で行けばユダヤ・アメリカについで抜きんでた存在であった。
*そういえば最近の若者たちの各界における活躍ぶりも頼もしさを感じさせる。ユダヤの人達は西暦70年に現在のイスラエルを追出され第二次世界大戦終了後の同1948年にもとの地に帰ることを許され全世界から多数の人達が帰国し現在の繁栄を築いてきた。彼らはその間世界各地で迫害され、辛い目に遭わされた。其の1900年近い間に身をもって学んだことは、遺すべきは金・土地・建物等の有形財産ではなく、自分の子供たちが持って生まれた才能を見出し、その才能を世界に通用する人財に育て上げることであると気が付き徹底的な教育投資を行ってきた。その結果、世界に通用する優秀な政治家・科学者等を多数輩出してきた。日本も平安時代以降子弟の教育には熱心で、江戸時代には藩校・神社・寺小屋等で武士・商人ほか子供達には相応の教育(読み・書き・そろばん等)を行い明治以降の我が国の発展に大きな貢献をしたのである。
江戸時代の「理悦」という学者は次のような言葉を残している。
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり
されど財をなさざれば、事業保ちがたく、事業なくんば人育ち難し」
三日は「国境の廃止」であった。これは私自身100年単位でも難しいと思っていたので、夢の中ではエー?と思った。
*目が覚めていろいろ考えた結果「できないことではないな」今では思うようになった。日本だって明治になる前は藩ごとに関所を置き、出入りを厳しく取り締まっていたではないか。言葉も地域ごとに方言があった。今では他国の人と結婚しても決して珍しいことではなくなっている。
方向が正しければ必ず策はある。現在でも、個人的にはすでに国境という線引きは古いのではないのか?英語が全世界でその国の第2言語化したら会議・食事会等もより楽しいものに違いない。国境が廃止されれば北方四島問題、竹島問題等も極めて小さいことである。
今年からは各種課題を大きく見て決断しようと反省している今日この頃である。
(保存;上田、BGB,TOshibaW)
■■■ プロシニア 上田研二会長プロフィール ■■■夢と生きがいに充ちた生涯現役人生(一生修業-臨終卒業)
私は昭和13年3月18日、愛媛県八幡浜市で6人兄弟の4番目として生まれた。兄・弟・姉・妹がいる当時としても珍しい家族構成であったと思う。当年80歳である。持病は進行性難病と言われるパーキンソン病であり19年間近く付き合っている。
私は「3」という字が大好きである。いろいろ記憶したい言葉も三つ以内にまとめると、極めて覚えやすい。例えば、「上田3原則」というのを創り対人関係では、
①頼まれたことは必ず返事をする。
②約東したことは必ず実行する。
③2度と同じことを言わせない。これを実行すると相手からの信頼度が増してくる。あるいは、「人と人との貴重な出会い三つの意味」
①その人から学ぶ(人生の後輩として)
②その人と腹を割って語り合う(人生の友として)
③その人に学んでもらえる何かを持つ(人生の先輩・師として)等である。
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