定年生活.com トップ» 遊ぶ » 1965年のプロ野球ニュース 弱小国鉄で353勝を挙げた金田正一が巨人へ移籍。アメリカ人からみた金田正一のすごさとは?

1965年のプロ野球ニュース 弱小国鉄で353勝を挙げた金田正一が巨人へ移籍。アメリカ人からみた金田正一のすごさとは?

2019/11/19 

2019年10月6日。金田正一さんが亡くなられた。、日本プロ野球史上唯一の通算400勝達成投手にして、同時に298敗の最多敗戦記録をもつ。更に通算奪三振(4490奪三振)、通算完投(365完投)、通算イニング(5526回2/3)、通算対戦打者(22,078打者)、通算与四球(1,808与四球)はいずれも日本記録でもある。

 金田投手は国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)に在籍していた1950年から1964年までの15年間、シーズン30勝以上が2回、シーズン25勝以上6回、記録。イニング数も入団1年目の1950年以外は、全て300イニングを超え、1955年には400イニングに到達。シーズン34完投はいまでも日本記録である。
 ちなみに、最近では読売ジャイアンツの菅野智之投手が2018年に202イニング、ソフトバンクホークスの千賀滉大投手が2019年に180イニング投げていることのが注目されているが、それでも金田投手の半分以下。如何に、凄まじい登板記録であるかが分かるだろう。

 その間、チーム自体は1961年に1回、Aクラスに入ったものの、あとの14年は全て4位以下のBクラスとセ・リーグの弱小球団であった。が、金田投手はその国鉄スワローズ在籍15年間で挙げた勝ち星は353勝。年平均で23.5勝となる。

 そんな金田投手が1965年のシーズンから読売ジャイアンツに移籍した。この年から巨人の9年連続日本一(V9)が始まることになる。金田投手は徹底的な自己管理や「金田なべ」に代表される食管理の徹底としても知られ、こうしたノウハウが9連覇実現の基礎になったとさえ言われている。

 ところで、金田投手の巨人移籍自体、お伝えすべきことは多々あるのだが、そもそも野球の本場であるアメリカでは、金田正一という男はどの様に見られていたのだろうか?そんな切り口から金田投手の巨人移籍について見てみたいと思う。

あえて反抗したスーパーサムライ?

 ロバート・ホワイティング氏が書いた「菊とバット」という著書がある。いうまでもなくローズベネフィクトの「菊と刀」を意識した野球を素材とした日米比較文化論に関する書物である。ここの104ページ以下に「第4章 スーパーサムライ」という章があり、西鉄ライオンズの稲尾和久投手が欧米人の理解を超える酷使に耐え、多くの栄冠をチームに持たしていることが紹介されている。
 氏はこうした選手を「スーパーサムライ」と呼び、野球武士道の精神に忠実な代表的な選手と位置付ける。なぜならアメリカの選手よりも早く力尽き、若くして引退を余儀なくされる。それでもチームのために拒むことなく酷使に耐え、チームに多くの栄冠をもたらした功績をこの様に表現している。

 この頃、既にアメリカでは先発投手にはローテーションが定着しており、だいたい中3日程度で回転し、年間も300イニングには到達しない程度の登板の様であり、稲尾投手や金田投手のような馬車馬のような使われ方は少し異様に映っている様である。

 その中で国鉄・金田投手の存在を唯一の例外と捉えている。
 ホワイティング氏によると、1963年に30勝17敗で2度目のシーズン30勝を実現すると、金田投手は「来年からは中3日を置かなければ先発しない」と爆弾宣言、肩を痛めて選手生命を縮めたくないというわけだ、としている。
 この「独立宣言」は大いに顰蹙を買った。(省略)当人は外野の声に全く動じることなく、持ち前の自信で1964年に27勝12敗の成績を上げ、10年選手制度による移籍を主張した(『菊とバット』109頁より引用)。

 金田はたちまちセ・リーグの花形チーム・読売ジャイアンツと契約。翌年から中4日ないし中5日のローテーションを許されている。こうした行為はまぎれもなく野球武士道に反する行為で、以来、彼は「天皇」の異名をとることになった・・・と(菊とバット 111頁)。

多少の誤解はあるが・・・

 上記ホワイティング氏の理解は少し正確さにかけるところがある。まず、金田投手が自身の待遇を宣言したのは、当時の国鉄監督との折り合いが悪かったからで、肩を痛めて選手生命を縮めたくないという理由ではないだろう。

 さらに「天皇」の異名が付いたのは、国鉄時代でキャンプでは他の選手とは食事をせずに自身で鍋を持ち込み、オリジナル料理「金田なべ」を作って悠然と食べるなど、監督以上の権限を有していたことに由来する。

 しかし、当時は移籍をせずに1つのチームに奉仕することが野球武士道に忠実な行為と捉える一方、金田投手のような生き様は自分勝手と捉えている。

 この指摘、令和の今も実は通ずる部分がある。それが「FA移籍」である。金田投手の巨人移籍とは10年選手制度という選手に耐えられた権利に基づくものであった。これは後のフリーエージェント制度の元になった制度であるが、今のフリーエージェント制度はランクによっては人的補償を求められるケースがある。

 どこか、日本のフリーエージェントは、アメリカとは異なり、後ろ向きな要素があることは否定できない。その様に見ると、ホワイテイング氏の私的もあながち的外れとは言えない様に思われるのである。

 末筆ですが、金田正一氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。下記映像は、金田氏の自身の元気時代を語る貴重な映像です。

(文責:定年生活事務局)
参考文献:ロバートホワイティング『菊とバット(完全版)』(2004 早川書房」

 



定年生活ではLINEのお友達を募集しています☆以下のQRコードからお友達登録をしていただきますと、LINEだけでのお役立ち情報をお届けします。
定年生活ではLINEのお友達を募集しています