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1972年のプロ野球ニュース 優良外国人が多かった大洋ホエールズでもNO1といわれたクリートボイヤーが入団

2020/5/7 

監督が頻繁に変わることで有名な大洋ホエールズで5年目の指揮を迎えようとした別当薫監督が率いる1972年の大洋に優良な外国人選手が入団した。もともと大洋ホエールズ(現:横浜Denaベイスターズ)には優良な外国人選手が多数、入団している。ミャーン、ポンセ、パチョレック、ロバート・ローズなど、ベイスターズファンであれば、名前と顔が一致するであろう多くの名外国人をスカウトした牛込惟浩氏をもって最高の外国人選手だったとされるクリートボイヤー。そのボイヤーがシピンを連れ立って入団したのがこの年だった。

ヤンキースの名三塁手だったボイヤー

 ジャッキー・ロビンソンやミッキー・マントルを見出だした伝説的なスカウトのグリーンウェイドにスカウトされ1955年に18歳でメジャリーグの世界に入った。1957年にニューヨークヤンキースに移籍。1960年に正三塁手になると、1964年まで第4期黄金時代といわれるヤンキースの5連覇に貢献。ヤンキースが低迷期に入る1967年にはアトランタブレーブスに移籍し、1969年にはゴールドグラブ賞を獲得、1971年までに162本の本塁打を放つ、生粋の大リーガーであった。そんな大リーガーがなぜかと言っては失礼だが、優勝から10年以上も遠ざかっている大洋に入団することになった。

外国人選手のイメージを一新したボイヤー

 アメリカ人から日本野球に実情を的確に描いたロバート・ホワイティング著『菊とバット』第9章「醜いアメリカ人」という章の中では、1960年代当時の日本野球のレベルの低さを足元に見たアメリカ人プレイヤーの酷い行動を数多く紹介する中で、ボイヤーが今までの外国人選手のイメージを一新させたと選手として紹介されている。ボイヤーは入団にあたり、
「ぼくはお金目当てに来たのではありません。アメリカで働こうと思えば、まだ十分いい仕事が見つかるはずです。・・・僕がここにいるのは日本が好きだからです。どんなことでもいいから力になりたい。一番強い相手を敵に回してプレーしたいのです」
メジャー時代に稼いでいた日本円にして約2100万円の年俸が900万円に激減しても日本でプレーすることを望んだのだ。

守備の達人は、多くのDNAを残した

 ボイヤーは大洋に入団すると、その能力をいかんなく発揮した。打順は6番や7番が中心だったが2割8分5厘、18本と下位では十分すぎるほどの成績を残した。1973年からはコーチ兼任となり、長嶋茂雄とゴールデングラブ賞を分け合うこともあった。兼任コーチ時代には、山下、高木由、田代を見出しコーチして後の大洋のスターに育て上げた。特に、山下大輔と米田慶三郎との鉄壁の内野陣を形成。ボイヤーの教えを受けた者が後にコーチとなって技術を伝承したため、大洋・横浜を通じて鉄壁の内野陣が代々継承されていく。

監督にはなれずにチームを去った

 しかし、大洋はこの間、監督が目まぐるしく変わる。1972年8月31日で別当監督が休養。青田昇代理監督となるが、これまた途中で宮崎剛監督代行に。1973年は青田監督となるが、1974年には、また宮崎剛監督が再登板。わずか3年間で5回も監督が交代した。

 1975年に生え抜きのスター秋山登が監督に就任。ボイヤーは選手専任となると、自己最高の20本塁打を放って現役を引退。76年はコーチとして在籍した。当時の大洋は秋山監督を支えるために、巨人のエースで後に監督となる藤田元司氏がヘッドコーチとして在籍。監督とヘッドコーチが投手出身のため、ボイヤーが攻撃や作戦の指示を出していた。

 しかし期待の秋山監督は2年で退陣し、二軍監督に。ボイヤーは後任の監督就任を希望したが、結局、別当監督が再登板することになり、チームを去った。


(クリート・ボイヤーの活躍を紹介しています。22分頃から登場します)

 多くの遺産を残したボイヤーは契約更改の際に、金額交渉はせずに白紙の小切手を渡しオーナーの希望する金額で契約更改したという。技術、人徳、高潔という三要素を兼ね備える史上最高の助っ人外国人でもあった。

 もしボイヤーが監督になり、1978年にオープンした横浜スタジアムの初代監督になっていたら、優勝はもう少し早かったかもしれない・・・。そう思うファンは決して少なくない。

(文責:定年生活編集部)
参考文献:本文中に引用のもの



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