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1971年のプロ野球ニュース 王貞治が球界の阪急ブレーブスの若きエース山田久志に野球の怖さを教えた逆転スリーラン!

2020/4/15 

 後に華麗なるサブマリン(下手投げ)として阪急ブレーブスの黄金期のエースとして活躍する山田久志は能代高校の3年生の頃に当時の太田監督から下手投げを教えられた。下から浮き上げる速球は効果抜群で夏の県大会は準決勝まで失点1という快投。
 その後、プロになる一番の早道として、両親の反対を押し切って冨士鉄釜石(新日鉄釜石)に入社。1968年のドラフトで阪急から1位位指名されると阪急ブレーブスに入団した。

鬼より怖いと思った西本監督から英才教育を受けた・・・

 1969年は7試合に投げて0勝1敗。3連覇を謳歌していた阪急に山田久志の出番は少なかった。翌、1970年から山田は主戦投手に。下手からの浮き上がる速球は威力充分であったが、よく一発長打を食らった。開幕から6連敗。それでも10勝を挙げたが、17敗も喫し、チームは4連覇どころか4位に後退。それでも当時の西本幸雄監督に
「これからは中心になって働いてもらう。しばらくは上がりなしでやってもらうよ。」
といわれた。鬼より怖いと言われた監督の言葉に身震いを覚えた。

そして、翌年は22勝。チームは80勝39敗という圧倒的強さで前年、ロッテに奪われた覇権を1年で奪回した。そして日本シリーズの相手は4たび、読売ジャイアンツ。しかし下馬評は阪急圧倒的有利。巨人7連覇の予想をする者は少なかった・・・・。

オレの力で巨人なんて抑えてやる

 血気盛んな若き23歳のエースは過去、3度苦杯をなめさせられてきた打倒巨人に胸躍る気分であった。1971年の日本シリーズ第2戦に先発。王貞治と柳田にホームランを打たれての7回での降板となった。が、チームは8対6で勝利。
 第3戦、中1日で山田はマウンドに立つことになった。

 一方の巨人は王貞治が円熟に到達していた。13年目のシーズンで10年連続の本塁打王。既に486本の本塁打を放っていた。そんな王に対しても
「力で抑え込みます」
と公言。

「よく1球の怖さとかいうじゃない。でも力さえあればどうににでもなるから」
と当時の山田は思っていた。

第3戦勝利もあとワンアウト

 肉体と気力が充実していた若きエースはコントロールよく快速球を投げる。巨人の打線は手も足も出ず、ヒットは末次と上田のヒットの2本だけ。阪急が1対0とリードし、9階の最後の巨人の攻撃を残すのみとなった。

「負ける気が全くしない」という山田に丹沢山麓からの夕日が美しく若きエースを照らす。まずは先頭の代打・萩原康弘を打ち取る。次は1番・柴田勲。粘って四球。2番の柳田俊郎を打ち取る。前回ホームランを打たれた柳田を打ち取った時点で勝ったと思った。

 次は3番・長嶋茂雄。山田は思った。「憧れの長嶋さんを打ち取って夢にまでみた打倒巨人を実現する!」

 長嶋を迎えて西本監督がマウンドに向かう。
山田「監督、勝負をさせてください」
西本監督「よし頼むぞ」
 それだけ言ってベンチに戻った。

 長嶋茂雄は山田の投げた外角カーブにバットを当てるように打つとぼてぼてのショートゴロ。ゲームセットと思われた。しかしショートの阪本敏三の横を抜ける。センター前ヒットだ。ランナーは一塁、三塁になった。バッターは4番王を迎える。

この年9年ぶりに40本に到達しないほどの不振だった王・・・

 8年連続の本塁打王になった王貞治。31歳。しかしこの年は打率は2割7分6厘、39本塁打、101打点と1,962年以来、9年ぶりに40本塁打に到達しなかった。今でこそ秀逸な成績にも見えるが王は「打席に入るのも怖い」ほどの不振に悩みつつのこの成績だったのだ。

 V9巨人の名参謀・牧野茂が作ったメモには「高めの球は威力があるから捨てろ。低めは足立の方が上。カーブは曲がり少なく小さい」とあった。
 王はそのメモ内容を思い出した。カウント・ワンストライクワンボールからの3球目、その低めの球が来た。

 王のバットからは放たれた弾丸ライナーはそのままライトスタンドへ。あたかも夕日の中に飛び込むような打球だった。飛び上がる王。そしてしゃがんで動けなくなった山田。敗者の姿がこれほどまでに残酷に目に焼き付けられるシーンは少ない。

 西本監督はそっと山田に近づいてこういった。
「ごくろうさん。今日は何をしてきてよい。好きなだけ浴びるほど酒を飲んで来い。門眼もない。明日は関係ないから」

山田は今でもこの時の監督の言葉を忘れないという。本当に情があって厳しさをがある監督であったと。
 
 山田は日本シリーズ第5戦に形だけ投げた。阪急絶対有利の下馬評だったはずのシリーズも終わってみれば1勝4敗。阪急は4たび、巨人の軍門に下った。

1971年に本シリーズ 第3戦(1971年10月15日 於:後楽園球場 観衆33,867人)
阪 急 010 000 000 1
巨 人 000 000 003× 3
勝利投手:関本
敗戦投手:山田


(当時の様子を2人の当事者である山田久志、王貞治の2人による回想を踏まえつつ当時を振り返る画像です)

(文責:定年生活編集部)
参考文献:熱闘!プロ野球30番勝負!(1990 文芸春秋)



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