1974年のプロ野球ニュース ミスター長嶋茂雄が引退。その9日後、ジプシーオリオンズが24年ぶりの日本一を達成!
2020/7/121974年10月12日於中日球場。中日ドラゴンズは大洋とのダブルヘッダーに勝利し、20年ぶりのリーグ優勝を決めた。前人未到の巨人の連覇が「9」で終わった瞬間でもあった。中日の優勝決定から1時間半後、ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄が現役引退を表明した。打率は.244で14本塁打。峠は過ぎていた。翌日にスポーツ紙は「長嶋引退」を打ち、「中日優勝」は吹っ飛んだ。
翌、13日は、東京地方は秋霖が降った。遣らずの雨であった。
10月14日、名古屋で中日は優勝パレードがあり、主力は後楽園に行けない。長嶋引退試合は二線級選手との試合になった。第1試合は7対4、第2試合は10対0で巨人が中日に勝利した。「わが巨人軍は永久に不滅です!」
1974年10月14日の後楽園球場。平日ながら満員となった大観衆は一時代を築いたスーパースター長嶋茂雄の引退試合に酔った。そして涙した。その2日後、10月16日の水曜日から日本シリーズは中日の本拠地・中日球場で始まった。第1戦が平日に始まるのはこの年以降ない。中日の相手は金田監督率いるロッテ。本拠地のないジプシー球団の優勝だった。
ジプシーロッテの苦悩
1974年もロッテオリオンズは本拠地を宮城球場としたまま、その多くを関東地方の球場で行うジプシー状態であった。球団事務所や合宿所などの諸施設は引き続き東京都内に置き、選手やコーチも東京近郊に自宅を置いたままで、首都圏での試合の際は自宅や合宿所から直接通っていた。当時の仙台は高速交通網の整備が始まったばかりで東北新幹線も未開通だったため、首都圏への移動手段でさえ空路か在来線(東北本線)の特急列車に限られた。特に仙台から福岡への移動となると、当時は山陽新幹線も全通前で移動は過酷であった。
実際の移動の状況を見ると、例えば、4月27日からの1か月は川崎→静岡→川崎→大阪→西京極→後楽園→日生→藤井寺→平和台→西宮と遠征し、5月28日に宮城に戻ると2日だけ試合をし、再び、川崎、大阪、後楽園へ遠征するなど、殺人的なスケジュールであった。
疲労困憊する選手を励ますため、金田監督はホームゲームでは1塁ベースコーチとして、ビジターゲームでは3塁ベースコーチで派手なパフォーマンスで陣頭指揮を執った。結果、前期は2位、後期は優勝し、観客動員も872,000人と前年より少し落ちたがリーグ1位の観客動員数となった。
プレーオフは阪急ブレーブスに3連勝し、見事4年ぶりのリーグ優勝となったが、宮城球場は3万人以上の収容が出来ず、日本シリーズはロッテの主催は後楽園球場開催と決まった。中日対ロッテという平日スタートの新鮮な対決
1974年10月16日、中日球場で第1戦がスタートした。10年ぶりに巨人が出ない日本シリーズ。しかも第1戦が平日に始まるという新鮮なスタートとなった。第1戦は中日はシーズン20勝の松本、ロッテはシーズン16勝を挙げた監督の弟・金田留広で開始した。
ロッテは弘田の本塁打や山崎裕之のタイムリーなどで4対3とリードしたが9回裏に緊急リリーフした村田兆治を攻略し、最後は高木守道のサヨナラヒットで勝った中日がまず先勝した。第2戦は、ロッテはシーズン13勝の木樽、中日は若きエース・鈴木孝政の先発となった。投手戦が予想されたが5回まで、5対1と中日がリード。しかしリードされたロッテは8回、有藤通世の本塁打、弘田澄男の適時打と前日に続いて星野仙を攻略。急遽リリーフした星野秀孝から得津高宏が2点適時打を放ち逆転。一方、ロッテの村田は8回9回を無安打に抑えた。
第3戦からは日本シリーズは巨人の本拠地・後楽園球場をロッテが間借りすることになった。中日がロッテの先発・成田文男を6回5失点でKOすると、鈴木孝政の好救援で5対4で中日の勝利。
第4戦は、今シリーズ最多の43128人という巨人の9連覇決定時以上の観衆が訪れた。6回まで、3対3の好ゲームだったが、6回裏に中日のリリーフ・渋谷が誤算だった。弘田・有藤に連続ホームランを食らい、計3点を失った。ロッテは7回から村田兆治が3度目の救援に出て、ぴしゃりと抑え、これで2勝2敗となった。第5戦はロッテが木樽。中日は鈴木孝政の先発。木樽は中3日、鈴木は中1日である。1回裏にロッテは得津高宏のタイムリーであっさり先制。7回には有藤のヒット、盗塁の後、鈴木の暴投もあり、有藤は3塁に。村上のスクイズで2対0.木樽は118球で中日を完封。王手をかけた。
(画像が悪いですが第5戦の様子を報じるニュース映画です)中日球場に戻った第6戦。ロッテはこれまで抑え役であった村田のフォークが中日打線に有効といいうことで村田が先発。中日は第3戦以来の松本が中3日で先発。2回にロッテは有藤、弘田の連続ヒットで1点を先取。
中日は3回裏に谷木、マーチン、谷沢のヒットで満塁とすると、木俣の犠牲フライで同点に。5回にロッテは千田のホームランで勝ち越すと中日は沢村賞の星野仙一を早くもリリーフに。すると6回裏に中日・大島康徳のホームランで2対2となり、このシリーズ初の延長戦に。
10回表、土肥のサードゴロを大島がエラーし、二塁に。山崎がバントで送り、弘田が勝ち越しタイムリー。村田は10回、145球を投げ切り、ロッテは金田監督2年目で初の日本一となった。
どの打順からでも点が取れる畳かける攻撃が勝因となった。一方、中日は守備のミスが多く、セーブ王・沢村賞投手・星野仙一の不調(1勝2敗)が響いた。MVPは2本塁打、7打点代率4割の弘田澄男が獲得した。
(画像が悪いですがロッテの日本一を伝えるニュース映画です)このシリーズは長嶋引退に隠れて、公式データも少ない日本シリーズであった。シリーズ終了後、ロッテは銀座パレードを行い、なんと200万人を動員(巨人は40万人が最高)。しかし本拠地・仙台では祝勝会をせず地元軽視と怒った仙台ファンの深刻なロッテ離れを引き起こすことになったのは皮肉だった。
1974年日本シリーズ結果
第1戦●ロッテ4-5中日○(1974年10月16日 中日球場 観衆:22148人)
第2戦○ロッテ8-5中日●(1974年10月17日 中日球場 観衆:24798人)
第3戦●ロッテ4-5中日○(1974年10月19日 後楽園球場 観衆:28103人)
第4戦○ロッテ6-3中日●(1974年10月20日 後楽園球場 観衆:43128人)
第5戦○ロッテ2-0中日●(1974年10月21日 後楽園球場 観衆:28187人)
第6戦○ロッテ3-2中日●(1974年10月23日 中日球場 観衆:23433人)最高殊勲選手:弘田澄男(ロッテ)
敢闘賞:高木守道(中日)
打撃賞:有藤通世(ロッテ)
技能賞:有藤通世(ロッテ)
最優秀投手:村田兆治(ロッテ)
優秀選手賞:山崎裕之(ロッテ)(文責:定年生活編集部)
参考文献:日本シリーズの軌跡(2001 ベースボールマガジン社)
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