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1975年のプロ野球ニュース クリーンベースボールの長嶋巨人が最下位転落 広島初優勝&山賊野球のライオンズがAクラスと西日本チームが大旋風を起こした

2020/8/6 

V9時代に別れを告げた読売ジャイアンツは監督が川上哲治から38歳の長嶋茂雄監督に代わった。長嶋監督は「クリーンベースボール」を標榜し、牧野茂ら川上巨人の頭脳を一斉に退団させた。

 長嶋監督にはある構想があった。スティンソンというバリバリのメジャーリーガーでキャッチャーを獲得し、ジャイアンツの野球をさらにダイナミックなものにしようとした。が、スティンソンが養子縁組をしていたことでアメリカからの出国が許されず、長嶋監督の構想は水泡に帰した。ジャイアンツの誤算の始まりだった。

パシフィックリーグでは指名打者制度が導入され、山賊野球が凌駕した・・・

 2年前に前期後期の2シーズン制を導入したパシフィックリーグは1975年から指名打者制度(DH制)の導入を決めた。この制度導入により、足や肩など、守備に不安のある選手が打撃専門に特化できるようになった。
 阪急の4番・長池徳士はシーズンを通して4番DHを務めることになった。

 もう一人、DH制導入で働き場所を得た選手がいた。近鉄バファローズの土井正博である。近鉄時代、当時の別当薫監督により、18歳の4番打者として英才教育を受け、不動の4番となっていた。しかし、本塁打、打率、打点といずれもリーグ2位の成績が続き、「無冠の帝王」と言われた。
 近鉄の西本幸雄監督は守備力強化のために太平クラブライオンズ(現:埼玉西武ラインズ)の柳田豊投手・芝池博明投手と交換で移籍することになった。この交換トレードの1週間後、DH制導入が決まり、西本監督はトレードの失敗を悔いた。

 その太平洋クラブは5年間、指揮を執った稲尾和久監督を解任し、大洋ホエールズの江藤慎一を選手兼任監督として招聘した。99%決まっていた大沢啓二監督就任を中村オーナーがかつての西鉄野球復活を目指すために覆した結果だった。
 土井のほかにも日本ハムからは暴れん坊選手・白仁天が加入。拍は
「太平洋の大きな魚になる」
と豪語した。

 江藤監督は、自らDHに座り、1番・ビュフォード、2番基、3番アル―、4番土井、5番白、6番江藤監督、7番竹之内とスラッガーを並べた。「打って打って打ちまくる」ことを標榜し、選手には思い思いのバッティングと団結、執念、復讐心を求めた。
 この山賊野球と言われた太平洋クラブは前期2位に躍進。個人成績も白が初の首位打者、また土井が34本の本塁打で初の本塁打王となり、土井の異名「無冠の帝王」を晴らした。これに加えてエース・東尾修も大活躍し、23勝で初の「最多勝」を獲得するなど、通年では3位と1967年以来、8年ぶりのAクラスに躍進した。

セ・リーグは赤ヘル旋風が吹き荒れた

 パ・リーグの旋風が福岡なら、セ・リーグの主役は広島だった。

 1974年も最下位に終わり、3年連続となった最下位となった広島東洋カープは初の外国人監督であるジョー・ルーツが監督に就任した。ルーツ監督は広島のユニフォームを当時の黒いユニフォームから闘争心を示すため、赤いユニフォームに変更しようとした。
 予算の関係上、帽子とヘルメットのみが赤いものに変わったがここに「赤ヘルカープ」が誕生した。

 ルーツ監督は衣笠祥雄の三塁コンバート、エース外木場を中3日のローテーションを守るために合理的な練習を求めた。外木場は、投手陣の柱として20勝を挙げ、チーム初優勝に大きく貢献するとともに、最多勝、最多奪三振、沢村賞のタイトルを獲得した
 しかしルーツの革命は開幕15試合、6勝8敗1分けのところで、終わった。4月27日、球団代表と対立し、指揮権を放棄したのだった。

代理監督は古葉竹識。古葉監督の下で黄金時代を迎える・・・

 1975年5月3日、古葉竹識コーチが監督に就任した。ルーツのまいた種が花開こうとしていたが、古葉が苦しんだ時期があった。6月14日の後楽園との巨人戦に7対5で負けるとそこから最下位・巨人と首位ヤクルト相手に5連敗。広島は26勝25敗4引き分けとペナントレースからの脱落寸前にあった。
 6月19日の試合も負けるとヤクルトとのゲーム差は3.5.初優勝は夢に消える可能性があった。

 前日、広島カープの宿舎である両国のパールホテルに古葉監督は野崎ヘッドコーチ、田中尊コーチ、藤井コーチ、阿南コーチを呼び、19日の先発投手について話し合った。すでにエース外木場は15日に先発し、中3日の休養を取っている。コーチは全員、外木場の先発を主張した。

 しかし、古葉はここで外木場で負けるリスクに思いをはせた。負ければ勝率5割に戻る以上の深いダメージを被る可能性があった。
「明日の先発は永本で行く。外木場は地元・広島の試合で行く」

 古葉の敵はヤクルトではなかった。己の決断との戦いであった。

 その永本が好投し、19日のヤクルト戦に勝利。その後、外木場でも勝利した広島は3連勝し、30勝25敗。再び首位に戻ったカープは山本浩二・衣笠祥雄のいわゆるYK砲が大暴れし、1975年10月15日、赤ヘルファンで埋まった後楽園球場で最下位・巨人相手に4対0で勝利。ついに球団史上初の優勝を巨人の目の前で実現したのであった。


(広島初優勝の様子を伝える動画です)

 常勝巨人の目の前で万年灰色と揶揄されたカープが優勝。広島に戻った試合後、カープにペナントレースが古葉監督に渡された瞬間、沈着冷静な古葉監督は大きくこぶしを点につき上げた。そしてペナントには夢にまでみた{CENTRALS CHAMPIONSHIP CARP」とはっきりと書かれていたのである。
 その後、山本浩二、衣笠祥雄の2人を擁するカープは1979年、80年、84年と3階の優勝、日本一の時代を突き進むことになった。

 そして、この年、セ・パ両リーグともに西日本のチームがAクラスを独占する究極の西高東低のシーズンでもあった。

1975年セ・リーグ順位表
1位:広  島  72勝47敗11引き分け
2位:中  日  69勝53敗8引き分け
3位:阪  神  68勝55敗7引き分け  
4位:ヤクルト  57勝64敗9引き分け
5位:大  洋  51勝69敗10引き分け
6位:巨  人  47勝76敗7引き分け

1975年パ・リーグ順位表
1位:阪    急 64勝59階7引き分け
2位:近    鉄 71勝50敗9引き分け
3位:太平洋クラブ 58勝62敗10引き分け
4位:ロッテ    59勝65敗6引き分け
5位:南    海 57勝65敗8引き分け
6位:日本ハム   55勝63敗12引き分け

(文責:定年生活編集部)
参考文献・近藤唯之『プロ野球監督列伝』(1984 新潮文庫)

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