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1977年のプロ野球ニュース 756本の世界新記録の本塁打を放った王貞治をきりきり舞いにした男! 彼こそピンクレディーのヒット曲「サウスポー」のモデルだった

2020/9/7 

世界の本塁打王・世界の「ビック1」と呼ばれる王貞治の本塁打に関する数字と戦いは読売ジャイアンツに入団後、3年目から取り組んだ一本足打法に打撃フォームを改造してから始まった。
 王の本塁打記録は、通算868本、シーズン最多本塁打55本(現在は破られている)、連続試合本塁打7本、連続4打数連続本塁打、13年連続本塁打王、通算満塁本塁打15本など、挙げればキリがなくなるばかりである。
 そんな王が本塁打を打つことのプレッシャーを感じ始めたのは、ハンク・アーロンの本塁打755本を超える756本の記録が聞こえてきた時期であった。

王の世界本塁打記録と共に2連覇へ快走した巨人

 1977年のシーズン前、王の周辺騒然としていた。1976年のs-ずん終了後、ハンク・アーロンの記録まであと40本と迫っていた。アメリカ人が日本の球場の狭さから王のホームら運をチャイニーズホームラン(フェンスギリギリの本塁打)と揶揄しようとも日本では、アメリカ人の記録を破るものは大騒ぎとなる。

 このシーズンは4月3日の開幕戦をその王の満塁本塁打で勝利すると、前年6度目の対決で阪急に屈した悔しさを晴らすかのように巨人は独走。ハンク・アーロンの記録に並んだ755本を放った8月31日には既に2位と12ゲーム差の大差がついた。しかも2位は前年、死闘を演じた阪神でも、1975年優勝の広島でもなく、優勝はおろか2位の経験すらないヤクルトという展開。

 王の世界記録更新が近づくとともに長嶋監督はファンのために王を公式戦初のライト守備につかせる余裕すら見せたが、そんな長嶋監督の余裕とは別に、王のプレッシャーは次第に大きくなる。
「単なる数字のことじゃないか。大リーグとは球場の広さも質も違うよ。」
と語っていた王。しかしプレッシャーは次第に大きくなり、王を威圧しにかかる。

 王が755本を放つと王は両親を球場に呼んだ。3試合、ホームランは出ずに重苦しい雰囲気になった。対戦した大洋の平松、ヤクルトの松岡ともに球史に残る汚名は着たくないとあって逃げ回った。

 1977年9月3日。後楽園球場でのヤクルト戦。相手投手は鈴木康二朗。スライダーが得意な少し気弱な投手である。3回裏の王の打席、神経質そうに眼鏡を直して投じた第1球。王の「一撃はライトスタンドへと消えた。ハンク・アーロンの本塁打記録を破った瞬間だった。


(王選手が756号の本塁打を放った当時の試合の様子です)

 世界記録達成のセレモニーで、王選手は両親をグラウンドに呼び花束を渡した。王の両親は台湾出身で、在日外国人として人に迷惑をかけぬようにつつましく過ごしていた。王はそれを誰よりも知っていたからこそ、この檜舞台に呼んだ。美談の陰に隠された王の苦悩を知ることが出来る瞬間でもあった。

ピンクレディーのサウスポーのモデルとなった永射保の快刀乱麻

 そんな王貞治の活躍が注目された1977年。2シーズン制を取るパシフィックリーグは前期は昨年の日本一・阪急ブレーブスが南海ホークスとマッチレースを制した。ところが後期、異変が起きた。
 万年最下位と揶揄され、倒産してもおかしくないとされたクラウンライターライオンズが7月15日から首位を快走した。前期5位日本ハムに9ゲーム差を付けられ、ボロボロの最下位に終わったライオンズ。「どこまで続くか」「真夏の世の夢」――。
 まだ10試合だよ。他球団は鼻で笑った。球団職員への給料も満足に払えない球団である。しかし7月16日は5連勝。さらに伸びて7連勝になると、オールスター前の首位が確定。球宴後の近鉄戦でも9―6で打ち勝つと、3連戦2勝1敗で勝ち越し。さらに苦手ロッテ戦も総力戦で1勝1敗1分けで乗り切ると、8月に入ってもトップをキープ。20日間を超える首位は66年以来、前身の西鉄以来11年ぶりだった。

 原動力は永射保という男だった。広島カープから移籍し、阪急のエース・山田久志投手のフォームを真似て左のアンダースローとして地位を確保。この年は先発、中継ぎ、抑えと万能タイプで働く9勝6セーブと不調でオールスターに選ばれない東尾修の穴を埋めた。特徴は背中から来ると言われたカーブであった。

 そんな東尾に代わってオールスターに出場した永射はオールスター戦で大活躍をする。

 地元・平和台球場で行われた第1戦には5回から登板し、王をファーストゴロに打ち取るなど、2イニングを完ぺきに抑えた。翌・7月24日は西宮球場での2戦目。永射は憧れの阪急・山田久志のあとを受けて3回から登板。王と張本から連続三振を取るなど、3イニングを完ぺきに抑える。皆、カーブが魔球に見えたのだ。

 そして26日の神宮球場での第3戦。6回に王に打順が回るとまたもや永射が登場。オールスター3連投。そして全て王貞治との対決。身長172センチの男の登板にスタンドは騒然となる。結果はセカンドゴロ。またもや永射の勝利だった。

 この様子をスタンドで見ていた男がいた。稀代の天才作詞家・阿久悠。クラウンライターのピンクのユニフォーム姿のサウスポーが線番号1の一本足のスーパースターに魔球を投げる。。。
 2年で消滅したクラウンライターライオンズのしかも最初で最後のリーグ1位で迎えたオールスター戦での小兵選手の活躍。

「背番号1のすごい奴が相手 フランミンゴみたい ひょいと一本足で スーパースターのお出ましに ベンチのサインは敬遠だけど 逃げはいやだわ♪」


(ピンクレディーのサウスポー全編です)

伝説のヒット曲・「サウスポー」が生まれた夜だった。

(文責:定年生活編集部)
参考文献:『熱闘!プロ野球30番勝負』(1990 文藝春秋)

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