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1978年のプロ野球ニュース ツバメが飛んだ!ヤクルトスワローズ世界最強とさえいわれた阪急ブレーブスを倒す番狂わせで初めての日本一!

2020/9/22 

「3連覇は強さを表し、4連覇こそ本物の力」。スポーツの世界で語られる格言の1つである。世界の盗塁王・福本豊、3年連続MVPの華麗なるサブマリン・山田久志、代打本塁打の世界記録を持つ高井保弘など、当時の阪急ブレーブスのレギュラーは何らかの世界記録に匹敵する一芸を有していた。

 こうした名選手を育て挙げたのは1963年から1973年まで11年、指揮を執った西本幸雄。西本監督が1973年に勇退すると、後を若干、37歳の上田利治が引き継いだ。上田監督は西本の遺産相続人と言われながら就任2年目の1975年に広島を倒して、球団初の日本一になると、翌1976年、1977年と2年続けて巨人を倒し、3年連続日本一となった。そうて1978年も前期と後期を共に制した阪急の成績は82勝39敗9引き分け。ナインでさえ、尤も強かったと振り返るほどの独走。そして日本シリーズの相手はヤクルトスワローズ。

 前年初めて2位に躍進し、その勢いでセントラルリーグを制した広岡達朗監督率いる管理野球のチームであった。広岡監督、上田監督共に40代。近代野球の旗手と言われた2人の初対決となったシリーズを振り返る。

ヤクルト与し易し・・・

 阪急ナインには、2年連続で巨人を倒したことで「ヤクルト与し易し」という感覚に近いある種の勝ち疲れの雰囲気が漂っていた。事実、シリーズ前の有馬温泉でのオーバーホール中に抑えの切り札・山口高志が後に選手生命の致命傷となる腰痛を起こした。
 さらには、若きエース候補として、13勝を挙げた佐藤義則もひじを痛め、リタイア。投手陣は、山田久志に負担がかかることになった。

 一方、広岡ヤクルトには短期決戦の名人と呼ばれるV9巨人の名捕手・森昌彦(後の西武監督)が作戦コーチとしており、初めての日本シリーズに向けて、ナインに阪急コンプレックスを説いてきた。それでも下馬評は阪急圧倒的有利。多くは阪急の4連勝を予想した。

初戦から乱打戦になった

 1978年10月14日、日本シリーズ第1戦は後楽園球場でスタートした。ヤクルトの本拠地・神宮球場が六大学野球で使えず、ナイター開催も折り合えなかったためである。第1戦はヤクルトが開幕投手の安田猛。阪急は3年連続のMVP・山田久志。
 シリーズは初戦から乱打戦となった。2回に山田のタイムリーで先制するも3回裏にはヤクルトが船田の犠牲フライで追いつく。5回にもお互い1点づつを取り合って、2対2.好ゲームになった。しかし、6回裏にヤクルト重量打線が火を噴く。マニエル、大矢がホームラン。山田がマウンド上でがっくりする。
 7回にも1点を追加して5対2となる。ヤクルト初陣の勝利が見えた。
 しかし、8回に阪急の大反撃があった。島谷のタイムリーで2点を返すと、代打の切り札・河村健一郎が逆転2ランを放ち、6対5.9回にヤクルトは満塁でサヨナラのチャンスを迎えるも阪急・上田監督の
「山田はハートで投げるんや」
の激で見事、初戦は山田が完投勝ち。しかし、初陣ヤクルトに169球も費やす苦闘だった。

 第2戦は序盤に阪急の2番手エースになった今井からマニエルが推定飛距離、150mを超える大きなアーチを浴びる。気の弱い今井は
「あんなホームランを打たれたのは初めて」
とうなだれ、ヤクルトは序盤で9対2と大きくリード。ヤクルトの先発・松岡は9対5となったところで降板させられたが、それでも10対6と勝利し、ヤクルトは初勝利を挙げた。

 阪急の本拠地・西宮球場に移った第3戦は阪急の先発が足立。佐藤のケガで4勝6敗、38歳の代役先発だった。しかし、足立の老練なピッチングはヤクルト打線に隙を与えず、3安打完封。連続21イニング無失点、5試合連続の日本シリーズ勝利のおまけまでついた。足立は笑った。
「日本シリーズは西宮で終わりますよ」(4勝1敗で阪急が勝つという意味)。

采配ミスと嘆いた第4戦

 上田監督が後に采配ミスと嘆いた第4戦。広岡監督は「うちを強いと思うのなら山田、ナメテくるなら今井」と阪急の先発を予想した。阪急の先発は169球を投げた山田ではなく、第2戦でKOされた今井を中2日で立てた。
 今井はこの年、完全試合を達成したのだが、この日はその実力をいかんなく発揮。一方、阪急は序盤からヤクルトの先発・安田を攻め、早々に5対0.阪急の王手は確実かと思われた。
 しかし、6回に4点を返され、5対4.そして、9回。ツーアウトからヤクルトの代打の切り札・伊勢が内野安打で出離。次のバッターはヒルトン。直球には強いが、変化球に弱い。阪急の上田監督は山田をリリーフに送るべく、マウンドに行こうとする。
すると、広岡監督が
「ランナー・渡辺」
と伊勢の代走を審判に告げた。タイミングを逸した。

「まっ、マウンドに行ってから代えよう」
上田監督は思った。すると、

今井:「投げさせてください」

気の弱い今井が珍しく強い口調で続投を志願した。
上田監督:「そうか。真っすぐだけはあかんよ」

名将・上田監督が人生で一回だけ、情にほだされた瞬間だった。リリーフカーに乗った山田は今井続投を知り、
「なんだ」
士気が下がった。

 結果は最悪だった。ヒルトンは苦手なカーブをコンパクトにたたいての逆転2ラン。最後はヤクルトはエース・松岡がリリーフに登場し、ヤクルトが6対5で勝利した。
「山田なら99%勝てたのに、50%の今井に賭けるなんて俺はなんてダメなんだ」
上田監督はこう悔しがっても後の祭りだった。後日、このシリーズの敗北はこの第4戦に伏線があったと上田監督は語った。

ヤクルトが王手をかけてシリーズは第7戦へ。そして事件が起きた

 第5戦は意気上がるヤクルトが中4日で休養十分の山田を粉砕し、7対3で勝利。なんと王手をかけて後楽園へ帰ることになった。そして第6戦。シリーズ最多の44,956人がヤクルトの声援に訪れる異様な光景となった。
 しかし阪急も踏みとどまった。先発の谷間をこの年3勝5敗の白石が見事にヤクルトの打線を封じ、打線も爆発。12対3で阪急が圧勝。そして第7戦となった。

 ヤクルトは唯一のエースともいうべき松岡弘。阪急は山田の不調を補って足立が中4日で先発に立つ。足立は5回裏、大矢の好走で1点を失うもそれ以外はヤクルトを抑える。6回も先頭の若松をレフトフライ。そして大杉がボックスに入る。

 シーズンで30本を打った大杉は第5戦でも山田からとどめを刺す3ランを打つなど、好調であった。その大杉に足立は内閣のシンカーを放る。足立はあれは絶対にファールになる楽な球と高を括っていた。
 しかし打球はレフトのポール際に飛ぶと線審の富沢一哉は大きく手をまわし「ホームラン」を宣告した。

 上田監督は激怒する
「見る位置が悪い。ファールじゃないか。」
激怒する上田監督は線審の交代まで要求し、抗議は1時間19分も続く。

 金子コミッショナーが「コミッショナーが頭を下げる」と言っても譲らない。激しいやり取りが集音マイクで全国に伝わった。最後はオーナー代行と球団代表の説得を受けて再開に応じたが、足立の肩はすっかり冷えてしまったのは皮肉だった。


(当時の抗議の様子を伝える映像です)

 続くマニエルが阪急の松本からホームランを放ち、3対0.そして8回に、大杉に打席が回った。投手は山田久志。大杉は燃えていた。
「最高の仕事にケチをつけられた。同じポール際にもう1発打ちたい」
 意気消沈の阪急ナインをバックに投げる山田とは気力で雲泥の差だった。
 外角低めのシンカーをたたくとレフトスタンドの真ん中に。堂々の2打席連続ホームラン。王者が交代した瞬間だった。シーズン中には細かく言われた守備をシリーズでは一切言われなかったのもMVPに繋がった。

 スタンドにヤクルトの勝利を祝う東京音頭が鳴り響く後楽園の夕日。前年、前前年と同じ後楽園で頂きの頂点をみた夕日は勇者に取って今年は、落日の夕日に映った。
 辞任が決まりかけていたヤクルト広岡監督は続投が決まり、阪急の上田監督は辞任することになった。この第7戦の視聴率は日本シリーズ史上最高の平均45.6%、最高61.5%(関東地区は未だに破られていない金字塔である。

1978年日本シリーズ結果
第1戦 ●ヤクルト5-6阪急○
第2戦 ○ヤクルト10-6阪急●
第3戦 ●ヤクルト0-5阪急○
第4戦 ○ヤクルト6-5阪急●
第5戦 ○ヤクルト7-3阪急●
第6戦 ●ヤクルト3-12阪急○
第7戦 ○ヤクルト4-0阪急●

(文責:定年生活編集部)
参考文献:『熱闘!プロ野球30番勝負』(1990 文藝春秋)
      『プロ野球多いなる白球の記憶』(1999 文芸春秋)

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