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1984年のプロ野球ニュース 中日に入団した藤王康晴と山本昌 契約金は倍違った2人の不思議な運命

2021/3/9 

「野武士野球」をを標榜し、1982年には攻撃一辺倒と「先発・中継ぎ・抑え」の投手分業瀬で奇跡の優勝を果たした中日ドラゴンズ・近藤貞雄監督。しかし、近藤体制の崩壊は早かった。
 翌・1983年に指定席のBクラス(5位)に沈むと球団はあっさりと球団に在籍経験のない山内一弘元ロッテ監督を招聘。V9巨人のコーチだった福田昌久を参謀に招聘するなど、体制を一新することになった。

 この年のドラフト会議で中日ドラゴンズには2人の全く「期待度」のそしてプロ生活が異なる2人の新人が入団した。ドラフト1で指名された藤王康晴とドラフト5位で指名された山本昌広である。

春の甲子園で打率9割を残した藤王康晴。高木守道の背番号1を継承した

一宮市立大和中学校卒業後、享栄高校に進学した藤王康晴は、1983年の春の選抜に出場。大会記録となる11打席連続出塁をマークし、3試合で打率.900・出塁率.923を記録。夏の甲子園には出場できなかったが、同年のドラフト会議で地元の中日ドラゴンズで1位指名され入団。左打ちの長距離ヒッターとして期待され、契約金は当時で破格の5000万円。
 入団時には高木守道が引退後、選手としては着ける者がいなかった「背番号1」も継承した。

 1984年には同じ一宮市出身の山内監督の英才教育の方針で、高卒ルーキーながら夏に一軍昇格を果たし、代打中心ながら34試合に出場し、打率.361と活躍した。しかしこれがピークだった。
 地元出身のスター候補だけに周囲からチヤホヤされた上に、2年目以降、当初持っていたはずの野球に対して前向きな姿勢が見られず、苦手の守備練習を避けているうちに打撃練習もおろそかにするようになった。守備練習でさんざん注意された直後、反省もせずテレビゲームに興じる姿にナインからも見放されるようになった。
 1990年には近藤貞雄・元中日監督率いる日本ハムへとトレードされたが、再生されることはなかった。結局、1992年のオフに自由契約になった。通算92安打10本塁打、打率2割2分。素材からすれば不完全燃焼もいいところだった。

 そんな藤王と同じく1984年に中日ドラゴンズに入団し、1988年にはドジャースに野球留学に行き、全く異なるキャリアを歩いた男がいる。山本昌広である。

アイク生原氏との出会いが山本を変えた

 山本は日大藤沢高校から進学する予定で伊熱田が、指名を受け、父親が長野県出身の中日ファンだったことが最終的に大きな決め手となり「おやじが喜ぶ」と入団を決意した。当時の契約内容は契約金2,500万円・年俸300万円と全く期待されていないと言ってもよかった。

 中日に入団し、視察をした当時・野球解説者の星野仙一氏は山本を「ただの大柄な男で、あまりに不恰好なモーションでコントロールもない。球も130km/h前後しか出ないからがっかりした」と酷評している。
 事実、プロ初登板となった1986年の防御率は27.00。星野監督となった1987年は16.20といつ、解雇されてもおかしくない成績であった。
 1988年2月、中日は業務提携していたロサンゼルス・ドジャースと同じベロビーチでキャンプを行い、藤王、山本ら若手選手5人が野球交換留学としてそのままアメリカに残ることになる。
 ここでドジャースの世話役・アイク生原との再会が山本の人生の転機となる。アイク生原氏からは投手の基本である低めへのコントロール、スローカーブの精度の向上、その他生活習慣を厳しく指導されたが、特に大きかったことは消えかけていた野球への熱意や楽しさを再び思い出させてくれたことであった。
 特にアイク生原さんから教わったスクリューボールが山本最大の武器となり、日本に帰国すると、5勝0敗、防御率0.55という驚異的な成績で中日ドラゴンズの6年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。
 西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦に先発登板し、敗戦投手に。中日は1勝4敗と西武に惨敗した。

数々の最年長記録を更新した

 山本は、星野監督→第2次高木監督→第2次星野監督→山田監督→落合監督→第3次高木監督→谷繫監督と都合、現役として31年、1軍では29年間投げ続けた。その間、多くの最年長記録も更新した。
 代表的な記録として、2006年9月16日の対阪神戦(ナゴヤドーム)でプロ野球史上73人目(84回目)となるノーヒットノーランを達成、41歳1か月での達成は2019年現在においてもプロ野球最年長記録であり、2006年の中日リーグ優勝に大きく貢献した。

 2014年、49歳0か月で迎えた9月5日の対阪神戦(ナゴヤドーム)で先発で今季初登板、5回無失点で勝利投手となり、浜崎真二のNPB史上最年長試合出場記録(48歳10か月)とNPB史上最年長勝利投手記録(48歳4か月)などの最年長記録を更新する記録となった。
 50歳1か月26日で迎えた2015年10月7日の対広島戦(マツダスタジアム)でNPB史上初の50歳出場・登板を果たしたことによって、現役生活を締めくくった。


(山本昌が50歳で登板したマツダスタジアム)

 581試合に登板し、通算219勝。勝ち星は杉下茂氏の記録を超えた球団史上最多である。
 むろん、1984年に入団した際、こうした記録達成を予言した者は誰も居なかった。

(文責:定年生活編集部)
本シリーズはちょうど50回目となり、このコラムで終了となります。次回以降は「定年生活が選ぶプロ野球ニュース since1985」として昭和60年代以降のプロ野球の出来事をお伝えする予定です。

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