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鎌倉幕府初代将軍源頼朝と4代将軍・九条頼経はどういう親戚関係なのか?

2022/12/23 

最終回が終わった「鎌倉殿の13人」。源頼朝の死後、建久10年(1199年)4月に発足した鎌倉幕府の集団指導体制を指す歴史学上の用語である「十三人の合議制」から由来したタイトル、内容でした。

 1185年に鎌倉に幕府を開いた源頼朝(※1)。1199年に急死し、2代将軍源頼家が就任。頼家は、18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の第2代鎌倉殿、更に3年半後に征夷大将軍となるも御家人同士である比企氏と北条氏の主導権争いによって、2代将軍頼家は暗殺。弟の実朝が北条氏主導で3代将軍になります。
 その3代将軍。実朝は頼家の息子・公暁によって1219年に鶴岡八幡宮で暗殺されます。

 今回のメインテーマである鎌倉幕府4代将軍は、九条頼経。藤原頼経とも呼ばれますが、摂家将軍であると同時に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の血を引く最後の将軍と言われています。その数奇な運命をご紹介したいと思います。


(写真は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝像です)

御家人の勢力争いに翻弄された頼家・実朝兄弟

 1198年12月27日に体調を崩した源頼朝は1199年1月13日に死去します。後を継いだのは長男の源頼家。まだ18歳でした。そこで、まだ若い将軍・頼家が訴訟を直接に裁断することが禁じられ、有力者13人の合議により決定されることになります。
 しかし、頼家は妻の実家である比企氏と13人の有力者である北条時政・義時親子との勢力争いに巻き込まれます。北条時政・義時親子は頼家の有力な支持者であった比企能員を謀殺。頼家自身も1203年に伊豆に流され、1204年に暗殺されてしまいます。

 後を継いだのは、弟の実朝です。1203年に比企能員の変により頼家は将軍職を失い、伊豆国に追われると。母の北条政子らは朝廷に対して9月1日に頼家が死去したという虚偽の報告を行い、実朝は3代将軍になります。
 実権は執権職に就いた北条氏にありながらも1209年には右近衛中将、1216年には権中納言、1218年には権大納言に昇格します。1218年12月には右大臣に昇進することが決まりました。実朝は、(1219年)1月27日、雪が2尺ほど積もる日に八幡宮拝賀を行います。

 夜になり神拝を終え退出の最中、「親の敵はかく討つぞ」と叫ぶ公暁に襲われ、実朝は落命。襲った公暁も殺害され、ここに源頼朝の血を引く将軍候補は不在になります。

源氏の流れを引く4代将軍を

 鎌倉幕府の第4代征夷大将軍は三寅。後の九条(藤原)頼経と決まりました。摂政関白を歴任した九条道家の三男で、摂家から迎えられたのでこの4代将軍と、5代将軍を摂家将軍と呼びます。当時の三寅はまだ2歳。なぜ、この幼児が後継ぎと決まったのでしょうか?

 鎌倉殿の13人では山寺宏一演じる慈円(※2)が、早口でその血縁関係を説明し、小栗旬演じる北条義時が聞き返す場面が印象的でした。
 要するにこうです。
 源頼朝の妹に坊門姫がいます。坊門姫は1190年に当時46歳で出産をしようとして難産で死亡してしまいます(※3)。今でも46歳の出産はなかなかの高齢出産ですが、当時でしたら猶更でしょう。
 その2人の娘のうち、1人は、九条良経に嫁ぎ九条道家と順徳天皇中宮立子を産みます。もう一人の娘が西園寺公経に嫁ぎ西園寺実氏と掄子を産みます。この九条道家と掄子が結婚し、その子供の九条頼経がいるというのが真相です。

 以下がその家系図です。

 母方の血筋、いわゆる女系にはなるのですが、源頼朝の血を引くということで4代将軍になります。しかし当初は北条政子が尼将軍として4代目の「鎌倉殿」になっています。

数奇な運命をたどる4代将軍

 頼経は、北条政子が1225年に死去すると、1226年に正式に証言宣下を受けます。1230年には2代将軍・源頼家の娘・竹御所を正室に迎えます。竹御所は1202年生まれ。頼経は1218年生まれですので、なんと16歳も年上の奥さんになります。

 ところが、この竹御所は1234年に男子を出産しようとして、死去してしまいます。名実ともに、源氏の血筋はこれで途絶えることになります。
 頼経は1238年には、権大納言まで昇進します。3代将軍実朝のように官位が昇進するにつれ、北条氏の執権政治に反対する勢力に担がれるようになります。特に北条氏に反感を抱く父・九条道家が関東申次としてが幕政に介入を試みるようになります。そのため、頼経と執権・北条経時との関係が悪化します。

 1244年には頼嗣に将軍を北条氏によって譲らせられることになります。が、三浦泰村の息子・三浦泰村・光村兄弟が頼経の鎌倉帰還を図る宝治合戦が発生。また 1251年には有力御家人である足利泰氏が自由出家を理由として所領を没収された事件にも関与していたと言われています。

 最後まで、北条家に抗い続けた九条頼経は1256年に赤痢で39歳の短い生涯を閉じます。

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※1:かつては1192年という説も強かったのですが、現在は1185年説が有力です。
※2:慈円は、歴史書『愚管抄』を記したとされることで有名。
※3:1190年に46歳で死亡したとすると、実際には頼朝の姉になる。

文責:定年生活事務局



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