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平和主義の基礎となる憲法9条の構造

2020/2/11 

日本国憲法9条が戦争を放棄していることはご存知の方も多いだろう。しかし、実際にどういう決まり事(条文構造)になっているのかを正確に知っていらっしゃる方は少ないかもしれない。そこで、憲法9条第1項がどの様な条文構造になっているかを芦部信喜『憲法学Ⅰ 憲法総論」から見てみたいと思う。

戦争の放棄

 9条第1項はまず、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。これは戦争放棄の動機が日本国民の平和への希求に基づくものであることを一般的に宣言する。
 そのうえで、国権の発動たる戦争、武力による威嚇又、武力の行使の3つを放棄すすることを言明している。

憲法9条における戦争とは・・・

 憲法9条が放棄する「国権が発動する戦争」は、国際法上、伝統的に国の主権の発動として認められてきた武力闘争を言う。この国際法上における戦争は、戦意が宣戦布告もしくは最後通牒という手続によって明示的に表明されるか、武力の行使を伴う外交の断絶という形式で黙示的に表明されることを要件とする戦争であり、形式的意味の戦争と呼ばれている。

 一方、「武力の行使」とは、国際法上の戦争を意味するものではなく、国家間における事実上の武力闘争のことをいい、実質的意味の戦争と呼ばれる。満州事変や日中戦争がこれに該当する。

 憲法9条は、この形式的意味の戦争と実質的意味の戦争の双方ともに放棄するとともに、戦争の誘因となる「武力による威嚇」、すなわち、武力を背景にして自国の主張を他国に強要して、それを貫徹する行為をも放棄すると宣言することで画期的とされている。

戦争放棄とは?

 もっとも戦争の放棄には「国際紛争を解決する手段としては」という留保がされている。国際紛争を解決する手段としての戦争とは、国際法上、侵略戦争とされている。そこで、この様に9条1項解釈し、侵略戦争が放棄されていると考えるべきか、戦争放棄に関する学説は大きな対立がある。ここでは大きく2つの学説を紹介する

戦争放棄をめぐる学説

限定放棄説

 「国際紛争を解決する手段としては」という留保がされており、2項では「前項の目的を達するため」すなわち、侵略戦争を放棄するという第1項の目的のために、軍備を持たず、交戦権を認めないと考える立場である。
 この立場からは純然たる自衛のための戦争などは否定されないと考えるので、自衛のための「戦力」を保持することは許されるとする立場である。

1項・2項全面放棄説

 この学説も「国際紛争を解決する手段として」の戦争すなわち、侵略戦争を放棄するという理解は限定放棄説と同じである。しかし、2項の理解が異なる。「前項の目的を達するため」とは「前項を定めるに至った目的」即ち、戦力不保持の動機を示しており、戦力不保持は無条件に規定されていると理解する立場である。

 従って、警察力によって自衛措置を講ずることは出来るが、戦力を保持しない以上、自衛のための戦争も出来ないという立場である。

さらに厳格な説として、憲法9条は侵略戦争、自衛の戦争を区別しておらず、両者ともに禁止しており、憲法9条1項によって、一切の戦争は禁止されているとする説もある。

 では、安倍首相が憲法改正の最大の理由とする自衛隊は憲法9条に違反するものといえるのであろうか?
 次回は、「自衛力」に関するどの様に考えるべきか。その点を検討する。

(文責:定年生活編集部)
参考文献:本文中に引用のもの



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