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シリーズ お江の史跡を歩く(3)  清水克悦

2011/11/10 

お江と秀忠の墓がある増上寺と周辺を散策する

今回はシリーズの第3回目。大河ドラマもそろそろ佳境に入っており、楽しみにご覧になっている方も多いのでは。
本シリーズをお読みいただくと、大河ドラマがより立体的に感じられます。第1回目・第2回目も併せて、ゆっくりお楽しみください。

増上寺の徳川霊廟は、通常は非公開。年に数回の特別公開があるだけだ。しかし、今年は、お江の生涯を描いたNHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」が放映されているので、毎日公開されている。大河ドラマを欠かさず見ていた私は、お江と秀忠の生きた時代が、身近な歴史になった。私が増上寺を訪れたのは、9月の中旬。三門、台徳院(秀忠)霊廟惣門、二天門など国重要文化財の建造物を見ながら、お江ゆかりの地をめぐった。

お江と秀忠の墓がある増上寺と周辺を散策する

スタートは、大門駅。A6出口から地上に出て、蕎麦屋の路地を入ると、「だらだら祭」と呼ぶ祭礼で知られる芝大神宮がある。なんでも9月中旬に10日間にもおよぶ長い祭があるという。芝大神宮が、まだ芝神明と呼ばれていた江戸時代の中ごろ、「め組の喧嘩」で知られる力士と鳶の諍いがあったのはこの境内だ。創建は平安時代の中期というから、千年ほど前、伊勢神宮の分霊を祀ったのがはじまりという古社だ。この神社に、大坂冬の陣を間近にしたお江が、春日局を代参として戦勝祈願したという。秀忠の妻として、すっかり徳川家の人だが、姉の淀君と敵対してしまう心中は、いかがなものだったろう。

秀忠とお江|芝大神宮芝大神宮
 
芝大門の交差点に出ると、増上寺の三門が正面に見えるが、まず左折し、最勝院に向かう。芝大門二丁目を過ぎ、ローソン前を右の路地に入る。最勝院は、寺とは思えない普通のビルなので、見つけ難い。ここは、増上寺の搭頭(子院)。寛永3年(1626)9月15日に亡くなったお江の位牌を祀る御霊屋の別当寺として増上寺の境内に創建された寺であったという。現在地に移ったのは、明治20年。御霊屋は、現在も、鎌倉の建長寺仏殿として現存している。

芝公園グランド前の交差点を渡ると芝東照宮である。家康の等身大の御神像を祀る廟で、御神像は昭和36年(1961)に重文に指定され、神殿も昭和44年に復興されている。神殿前には都天念記念物の高さ25.5m、根元の周囲9.5mという大イチョウの木が聳えている。
 
三門に向かう途中の左手に、きらびやかな台徳院霊廟惣門が建っている。寛永9年(1632)に、3代将軍・家光が建立した秀忠の霊廟の正門である。台徳院は、秀忠の諡号(しごう)。三間一戸八脚門、屋根は入母屋造り、正面に唐破風を持つ銅板葺の惣門で、戦災で焼けずに残った、数少ない建物である。

秀忠の墓門|台徳院(秀忠)霊廟惣門台徳院(秀忠)霊廟惣門

大きな三門が現われた。三門とは、三解脱門の略で、欲望の源である貪欲、怒り、愚痴の3つの煩悩(ぼんのう)を解脱する門という。三門は、増上寺の建物のうち、経堂とともに最も古い建造物である。間口約19m、奥行き約9m、高さ約21mの二層建て。上層の屋根を下層の屋根より大きくしているため、重々しく見える。二階内部には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されている。この三門は、11月30日まで公開中である。

お江と秀忠|増上寺三門増上寺・三門

三門をくぐると、煩悩の炎が燃え尽き、悟りの世界に導かれるはずだが・・・。正面に大殿(本堂)。右手に東京タワーが大きい。大殿には、室町時代に造られた本尊の阿弥陀如来、両脇壇には高祖・善導大師、元祖・法然上人が祀られている。

秀忠とお江|増上寺・大殿(本堂)増上寺・大殿(本堂)

増上寺は、寛永3年(1626)に創建された。上野の寛永寺にも6人の将軍が葬られているが、もともとは2代将軍・秀忠も葬られていた徳川家の菩提寺。天台宗の天海に深く帰依していた3代将軍家光が、天海のために寛永寺を開かせたため、寛永寺も菩提寺となったもの。15代続いた徳川将軍家の中で、両菩提寺に埋葬されていない将軍は、日光に埋葬された家康、家光、そして谷中霊園に埋葬された最後の将軍・慶喜の3人である。

徳川家霊廟は、家康の念持仏の「黒本尊阿弥陀如来」を祀る「安国殿」の後ろにある。昭和20年の戦災で焼失し、一箇所に集められて小ぢんまりしているが、戦災前の増上寺御霊屋図を見ると、三門、大殿(本堂)を挟んで、秀忠とお江の霊廟がある南御霊屋と、現在東京プリンスホテルのある北御霊屋まで広大な敷地に宝塔が点在している。

現在の徳川家霊廟の入口の門は、文昭院(6代・家宣)霊廟の中門で、重々しい。霊廟に入ると、大きな宝塔が周囲にぐるりと並んでいる。お江の宝塔は、右手隅。お江は、寛永3年(1626)に、江戸城で54才の生涯を閉じた。諡号(しごう)は、「崇源院」である。秀忠の宝塔が木造であったため、戦災で焼失したので、秀忠は、お江と一緒の宝塔に祀られている。霊廟内は、お江の墓から時計回りに、7代・家継、9代家重、12代家慶(いえよし)。将軍生母、側室等の合祀搭があり、その右に和宮、14代・家茂、6代・家宣夫妻が安置されている。

お江と秀忠の墓お江と秀忠の宝塔

増上寺を出たら、日比谷通りに出て御成門駅に向かう。御成門駅の入口手前には、二天門が建っている。後ろの東京プリンスホテルの敷地には、享保元年(1716)に建立した7代将軍・家継の有章院霊廟などがあったが、戦災で焼失してしまった。二天門は焼け残った有章院霊廟の惣門。銅瓦葺、切妻造りの八脚門で、左右に仏の守護神である広目天と多聞天という天部の神が置かれているので、二天門という。
徳川家霊廟の公開は、来年の1月末までである。
(第3回終わり)

お江の史跡を歩く

(1)ところざわのゆり園から狭山不動寺へ

(2)家光の乳母・春日局の拝領地を歩く

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