不親切は愛情の証
2011/7/2 中村志帆 さん実家に顔を出すと、例の如く朝から父が大した用事でもないのに「母さん、母さーん」と母を呼び付けている。
用事は、と云うとお茶とごはんの催促に始まり『眼鏡はどこだ?』『爪楊枝をくれ』『ティッシュがなくなった。』と、自分でやれる事ばかりです。
何十年もこの生活が続いているのにも関わらず、母は「はいはい。」と言っては父の世話を焼き続けている。
「自分でやらせればいいのに。」と、私が言っても母は笑っているだけ。そんな母から乳癌で入院するとの連絡が入った。癌は既にかなり大きくなっていて乳房を切除する事になったのです。
そんな時でも、母が心配していたのは自分の事ではなく、父の事でした。電話口で何度も「お父さんの事お願いね。朝だけはお茶を自分で煎れるのが好きだからそれはやらせておいてね。あと、一人で服を着させると変な物引っ張り出してくるから用意してあげて。それとね、日曜日はカレーを作ってあげてね。」と云った具合で、まるで幼子を一人家に置いてくるかの様な心配振り。私は子供を連れて直ぐに実家に駆け付けたけれど、母は既に入院を済ませており、家の中に父がぽつりと佇んでいました。
「何してるの?病院に行かなくていいの?」と訊くと「母さんに頼まれたものが何処にあるか全く解らないんだ。」と困り果てた様子。
自分の事も出来ないのに母の物が何処にあるかなんて解る訳がありません。
母からのメモを受け取り、テキパキと家の中を歩き回っている私に「お前、嫁いでから何年も経つのに良く家の中の事が解るなぁ。」と感心したように父が言うのです。
「これくらいお嫁に行ったって解るわよ。何十年もお母さんに甘えっ放しのお父さんには解らないかもしれないけどね。」
こんな時にまで母に心配をかけている父が少し憎らしく思えて、少し強い口調になってしまった。それでも私の苛立ちは納まらず「お母さんは不老不死じゃあないのよ。」と余計な事まで言ってしまった。手術も無事成功し、3カ月後に母は退院する事ができました。
母が入院している間父の世話をしながら、私は両親の今後の生活の事を考えていたのです。
退院したとしても大手術の後で母の体力は無くなっている筈、同時に抗癌治療をしていくので多分寝てばかりの生活になるでしょう。
そんな状態で今迄通り父の世話をしていては治る病気も治りません。あの日、私がきつい事を言ってしまったせいで、父は私には何も頼めなくなり、部屋の中をウロウロするばかり。その度に私が「何探しているの?」「何が要るの?」と訊く始末。
その時『世話を焼くから駄目なのよ!』と云う思いが湧き上がりました。せめて自分の身の回りの事が出来るように、父に不親切運動をする事にしたのです。
父は大変優秀な生徒でした。教えた事を丁寧にメモ書きし、食べた食器を洗ったり、洗濯機や電子レンジの使い方を覚えたりしていきました。退院してきた母は見違えるように成長した父の暮らしぶりに驚いていましたが、「お父さんじゃないみたいで何だか寂しいわ。」と漏らしていましたけど、「元気になったら、また『母さん病』が始まるわよ。」と言って私は実家を後にしました。
それからは毎日の様に父から電話が入り、お料理の仕方を訊いてきたり、母の下着を送ってくれと言ってきたり、父の頑張りが伝わってきます。
どうやら不親切運動は役に立った様ですね。
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